2020年9月30日水曜日

生きてるうちに頭は使え

 



タイトルの言葉は

看護師として1から10まで教わり

育ててくれた先輩から

いただいた言葉である。


大腸内視鏡のポリペク時に

使用したスネアとバスケットを洗浄し

片付けている時にかけられた。

もう1人別の先輩と

「どうしようか?」

と考えあぐねていたら

「こうすれば?」

と、いとも簡単に解決してくれた。

その時先輩から一言

「生きてるうちに頭は使いや。」

強烈に響いた。

そしてこの言葉は私の中に深く刻まれ

事あるごとに様々な場面で

思い出している。





当時の私は

毎日毎日何かしら怒られて

いかに自分が無能であるかを

思い知らされる日々だった。

この業界、厳しいのは重々承知していたが

ここまでは行き過ぎでは?

と感じるも仕事の出来ない私は

何も言えず、ただ

今日は何で怒られるんだろう?

どうすれば怒られずに済むか?

そればかりが気になり

全く周りが見えていない状態だった。

今思えば当たり前である。

いかに怒られずに済むか?

そればかり考えていれば

仕事はおろか、何も出来ない。

出来るようになるわけもなく

自業自得である。

何故辞めなかったのか?

未だ

不思議であるが辞めずに

一通り出来るようになるまでとにかく

しがみついていた。

センスもなく努力でカバーするのも…

と嘲笑されたが

クビを言い渡されない限り

居れると見方を変えたりして

奮い立たせていた。



「他の子がやってなくても

あんたはやって。」

言われた瞬間、何故私だけ?

新たないやがらせかと思った。

とても繊細で小さな事であったがそこに

気を配ることは私も

先輩と同意見であった。

即座に嫌がらせかと思った自分を

恥じた。


怒られてばかりだったが

所々かけてもらえる言葉が

有り難く、本質を見てくれているのでは

と感じられた。

今振り返ると先輩の一つ一つの

所作が美しい。

無駄な動きがなく、当然患者さんへの

負担は軽減され、計算され尽くされているが

極々自然に見える。



私が育ててもらった職場は

外来で出来ることはなんでもやる。

クリニックとはいえ

ちょっとした病院並みであった。

1日の来院患者数は多い時で200人越えに

なるほどで、それを1人のドクターと

看護師5人で回していく。

「ウチでやってること一通り出来たら

どこでも通用するわ。」

先輩の言葉通り

実際他の職場に行っても

何ら困る事はなかった。


結婚を機に退職したが

再び大阪に帰り

この職場に戻る事になった。


育ててもらったご恩返しが出来る喜びと

辛かった事もたくさんあったが

おかげさまで看護師として

仕事が出来ている

どれだけ自分が成長出来ているか

知りたかった。


「出戻りか?笑。おかえり。」

患者さんが覚えていてくれていたり

思った以上に先輩達とスムーズに

仕事が出来る自分がいて

毎日が楽しかった。

こんな日が来るとは

過去の私には想像もつかない。



退職する日が来て

先輩より

「ありがとう。助かったわ。」

合格証書をいただいた気分だった。

看護師としては

これから何があっても

胸を張って仕事をしていこうと

心底思えた。



採血、注射、点滴など

難しい血管の患者さんの時

針を刺す瞬間、心の中で

先輩の名前を呪文のように

唱える。

すると不思議な事に失敗しない。

私の大切なお守りである。














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