2021年4月9日金曜日

25年 

 

2月11日、京都へ

友達のお店の周年記念イベントと母の墓参りに行った時のこと。


25年という時の流れを、パフォーマンス、ダンスにて

表現されていた。


自分の人生を生きるとは

なんと芸術的なんだろう。

自分の人生を、魂で生きることそのものが

芸術なんだ

今更ながら気づかせて貰えた、とても貴重で

本当に豊かな、贅沢な、最高の時間だった。


一人ひとりの人生が

宇宙の芸術作品


彼女から、何やら面白い世界があるらしいと

遊びにおいでと誘われて

びっくり驚きはしたけれど、嫌悪感は不思議と

全く湧いて来ず、すんなり受け入れていた。

むしろ、ホンマや面白いと

見るもの聞くもの、経験するもの

自分に驚きと意外性を見つけ

関わる人達の純粋さや優しさ、繊細さに感動したり。

大きなターニングポイントになった。


この世は、3次元では必ずその存在は対極となる

よくある例えでコインの裏と表

光と闇

性に関することでも殊更

密なる部分、秘めたる存在

アブノーマルな位置付けをされてきたSM

性の中でも闇のパートだったのではないかと思う。

SMと聞くと、ムチ、ローソク、縄や拘束具の

イメージ、そしてボンテージファッションだったりするんじゃ

ないかと思う。

それらは象徴にしか過ぎず、その瞬間瞬間の心の有様が

表現されている。


25年経った今、こんなふうにブログで綴れるほどに

様変わりした世界。


縄を自由自在に操る緊縛師としての彼女の台詞が

頭から離れない。


縄はそもそも自由なのだ


自らを無駄人と呼ぶ彼女は

いつも自分に嘘をつかずに、湧いてきた思いに忠実に

誠実に生きている。

常に枠を壊して未知なる世界に挑む姿

それはとても美しく潔くて眩しいくらいの輝きを放っている。


自分自身を愛して

自分の人生に誇りを持って

自分の好きにまっしぐら


いつもいつも見せてくれる世界に

私の枠は気持ちいい位に木っ端微塵に

壊される。



奥さん、25周年おめでとう。

いつもめっちゃ格好えぇなぁ。

それでもって、ありがとうなぁ。




             京都 BAR BARA 25周年記念公演





母の形見の着物で

4月7日は十三回忌でした

















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